<第7回神戸市柔道友好使節団フランス・スイス遠征を終えて>
神戸市柔道友好使節団は、2008年8月30日結団式を行い、9月11日関西空港を飛び立った。役員を含め総勢39名がフランス(トゥレーヌとパリ)とスイス(ロモン)で親善試合や練習を行ない、地元の人々と交流をし、所期の目的を立派に果し、全員が無事に帰国してその報告が出来ることを誇りに思う。
12日、パリのシャルルドゴール空港に降り立った。パスポートチェックを待っている間、聞きなれないフランス語のアナウンスや様々な人種・言葉や服装の人々を目の当たりにして、フランスに来たと実感した。余韻に浸る暇なく早々にバスで一路トゥールへ急いだ。トゥレーヌ甲南の地、サンシール市の瀟洒な迎賓館で市の歓迎レセップションの公式行事を終え、トゥレーヌ甲南で昼食の後、立派な道場で軽く汗を流して学生達はやっと緊張がほぐれた表情を見せた。
トゥレーヌ甲南では大変お世話になった。トゥレーヌ選抜チームとの親善試合にさきがけ、トゥレーヌ甲南の生徒による和太鼓で士気を鼓舞してくれた。白熱した試合が展開されたが神戸市チームが勝利した。試合後の練習では、60歳代の柔道愛好者たちが学生を相手に練習している姿を見て、生涯柔道の楽しみ方を垣間見た。
又、トゥレーヌでは学生達がホームステイを体験した。ホストファミリーは温かく学生を迎えてくれた。学生達も言葉が通じない分は誠心誠意の態度で対応し、単なる旅行ではない貴重な体験をした。
パリでは、フランス柔道連盟に併設する大柔道場(一度に8試合が出来る広さ)で、フランスのナショナルチームに準じる選手達と厳しい試合をした。7対7の引き分けだったが、学生達は技術的なものを含め多くの体験をした。柔道着が乱れたら服装を直して再び練習をする。柔道場の出入りの際は「礼」を丁寧に行っている。柔道着の下にアンダーウエアーを着ている選手がいないこと。等などは当然のことであるが、フランスの選手達がそれらを自然に振舞う様子に気づいた学生たちは少なくなかった。「人の振り見て我が振り直せ」を改めて感じたようである。事実、彼らが日本人柔道家の仕草をよく観察している気配を感じた。このように、フランス柔道は競技面の強化に加え柔道の教育的側面と精神面の取り組みの成果を拝見した。
スイスのローザンヌでTGVを降り、乗り換えてロモンに到着した。町は山の上にある。町全体が城壁に囲まれ、中世の典型的な山城の面影をとどめている。学生達の宿舎はスイス軍の施設のシェルターで3日間起居した。分厚い扉を閉めると、外とは全く遮断され想定外の体験をした。平和な国の(国防の)厳しい一面を見た。
学生達は顔馴染みのスイスの柔道家と再会した。滞在中は彼らの献身的な世話になった。柔道場のすぐそばで牛が草を食んでいる。地元の豆柔道家が父兄とともに集まった。黄色、橙色、緑や茶色の帯そして橙色と白帯の段だら縞の帯は日本では珍しい。上達の度合いに応じて帯の色が変わる。子供達の向上心を刺激する帯だ。学生達の胸を借りて子供達は元気に力一杯技を掛けている。父兄はその様子を見て微笑んでいる。その光景は日本の子供柔道教室と全く同じ光景だ。仕事を終えた大人が三々五々集まって大人の部に替わった。気合いの入った練習が行われた。ロモンの柔道家のご厚意で「ほんまもんのフォンデュ」を地元の柔道家と味わった。談笑の輪があちらこちらで湧きあがり、座は盛り上がり深夜に至った。ローザンヌからベルンの地域の柔道クラブに所属する選手達と親善試合を行った。キラッと光る選手を目にする。日本人の先生が指導しておられる選手だ。
帰国して、学生達の体験談を聞いた。和仏辞書を片手にコミニーションに努力したこと。日本のお土産が気に入ってくれるかを気付かい、言葉の違いや習慣や食事などの違いに戸惑ったようだが、3日間のホームステイを終える頃にはすっかり家族の方と打ち解けたこと。スイスへ向かう車中で、本当にトゥールのホストファミリーには大変良くしてもらい、感謝しているという話を聞き、(この遠征で)貴重な体験をしたこと。もう一つは、フランスやスイスの柔道スタイルの違いに戸惑ったこと。日本人とは考え方も、体格、体質も違うことを身をもって感じたこと。柔道をすることで、言葉は通じないが言葉ではない何かで通じ合えたことを感じ、柔道をして本当によかったと思ったこと。フランスの柔道家は熱心に柔道に打ち込んでいる姿を見て、自分達も見習うべきだと感想を述べてくれた。
次世代を担う学生達が柔道を通じて日本、世界で役にたつ人物になって欲しい(これは柔道の究極の目的である「世に裨益(ひえき)する。」)という願いから、大学4年間に海外遠征へ参加出来るように実施してきた。甲南大学柔道部が中核となり神戸市友好使節団を結成して、神戸市の姉妹都市を主として訪問をし、1987年中国(天津市)、1991年フランス、1996年オーストラリア、2000年アメリカ、2001年フランス、2005年オランダ・フランス、2008年フランス・スイス)、と今回を含め7回の海外遠征を多くの人々のご支援を得て行ってきた。
柔道を創始した嘉納治五郎師範は柔道家であると同時に教育者(東京高等師範の校長を歴任)でもあった。その東京高等師範を卒業された、後藤、植村両先生に指導を受けた我々は柔道の競技面のみならず、道徳・教育面の指導を受けた。山崎先生が甲南に赴任され、後藤、植村両先生と同様に教育な側面も熱心に指導されている。
「黒帯で世界の人々の輪をつなごう」を合言葉に、学生たちは柔道を通じて国際親善に努める傍ら、異文化に接し、そして海外から日本を見て日本を再認識する体験もして、学生時代に延べ130余名が貴重な経験をしている。訪問した国の柔道家が来神した際には、当時の学生達(今は立派な社会人になっている)が集まって彼らと再会を喜び旧交を温めている姿は微笑ましい。
この遠征は極めて厳しい日程であった。学生達は柔道にも交流にも精力的に活躍した。
この遠征を通じて、山崎、曽我部 両先生の平素のご指導が行き渡っていることを随所に拝見した。井上主将を中心に学生達は良くまとまり、役割分担をして夫々が責任を持って自分の任を果たした。定期戦を通じて誼のある学習院大学から3名が、英国より留学生のジャン、神戸学院大学、神戸国際大学、甲南女子大学よりそれぞれ1名が参加した。お互いにこの遠征を通じて友情を高めていた。
この度の遠征では実に多くの方々のご支援やご協力を得て実現した。関係各位にお礼を申し上げ筆を納める。