同窓会から寄稿のお話をいただいて、学生時代を懐かしく思い出す一方で、さて、みなさんにお話できるほど頑張ってきたかなーと、振り返る機会にもなりました。この原稿を書いている時点(平成24年3月)で京都府長岡京市の市長職3期目を迎えています。交通至便な住宅都市であり、環境整備や文化活動に取り組んでいる日々を少しご紹介したいと思います。
私は、この長岡京市で生まれ(当時は長岡町)育ち、1968(昭和43)年に甲南を卒業しました。当時の大学といえば、学生運動が盛んで、まともに授業もできない、学生がキャンパスにさえ入れないような大学もあったのです。しかし、甲南は幸い、明るく元気な校風を失っておらず、恩師、友だちにも恵まれました。役所で積極的に仕事に取り組めたのも、真っ直ぐな学園生活があったからこそ、といまさらながら感謝しています。
[阪急新駅]
長岡京市は甲南とは阪急電車1本でつながっているわけですが、人口8万の住宅都市、文化都市として着実に発展してきました。市の名称からお分かりのように、都が平城京から平安京に移る間の10年間、桓武天皇が造営した都でありました。実は、平成22年3月に天皇皇后両陛下の行幸啓の折、本市役所にもお立ち寄りになりました。私は、天皇がこの地にお出ましになるのは桓武天皇以来1200年ぶりのことだと、感慨深くお迎えさせていただきました。
そんな悠久の歴史を背景に、文化の香りのするまちづくりを進めています。幸い京都府の長岡京記念文化会館という施設があり、コンサート、オペラなどの「長岡京音楽祭」を毎年開いています。10万都市に満たない市ではありますが、みなさんの熱意が年毎に高まり、盛況です。もちろん、生活に密着した行政サービスはおろそかにできませんが、日々の生活に潤いのある、心豊かなまちにしたいという熱意を失いたくないのです。
[勝龍寺城]
歴史絵巻の舞台としては、勝龍寺城があります。戦国乱世に、はかなくも清く咲いた細川ガラシャが細川忠興の元にお輿入れをした城です。つかの間の幸せな日々だったといいます。城跡は現在、公園になっていて、毎年、このお輿入れをテーマにした「長岡京ガラシャ祭」を盛大に行っています。私は、細川ガラシャの生涯をNHKテレビの大河ドラマに、という思いを強く持っていまして、京都府内のガラシャゆかりの自治体などと一緒にドラマ化の運動を展開しています。
まだまだ、ご紹介したいことはいっぱいあります。春には、名高い乙訓(おとくに)名産のたけのこが味わえます。秋には源平時代の武将・熊谷直実が開いた光明寺の紅葉はまばゆいばかりです。京都縦貫道と名神高速道をつなぐ高速道路・第二外環状や阪急電車の新駅開業が近づいていまして、ますます交通の利便性が増します。
六甲山ならぬ西山連山を背にした長岡京市に、どうぞ一度足をお運びください。いやいや、是非、住んでみてください。心から歓迎いたします。