昭和39年、理学部経営理学科を卒業、即、神戸新聞社に入社。以来47年の長きに渡り勤めあげた。その間、コンピューターの専門家として、社の経営管理システムを構築、新聞の制作の近代化にも参画した。昭和57年、総合企画部門に転籍、中長期経営計画を策定、安定した経営の道標を作り上げた。
昭和63年取締役、常務取締役を経て、平成7年専務取締役、平成14年代表取締役社長に就任(神戸新聞12代目)、平成19年代表取締役会長、現在は神戸新聞社相談役、神戸新聞グループ経営会議名誉顧問を勤めている。
全国数多(あまた)有る新聞社の社長で理科系出身者というのは、極めて珍しい。経常の根幹においた方針は「情理を尽くす」。情だけでは流され、理だけでは固苦しい、両方を上手に使い分けてこそ、人は動き組織は活性化する。
阪神・淡路大震災という大きな試練を乗り越え、社業は復活した。関連企業25社を有する神戸新聞グループは、情報を中心においた社会貢献企業に脱皮しようとしている。三宮駅前に「ミント神戸」も建設した。
未知なる時空に向けて旅を続ける『人生』は、夢と希望を「坂の上の雲」になぞらえて歩み続けねばならない。
兵庫県サッカー協会・会長、兵庫県行財政改革諮問委員、甲南大学理事ほか多数兼任。
趣味は、囲碁、ゴルフ、スポーツ観戦、旅行など。69歳。