中根会長特別寄稿


                  
                                          【福岡甲南会20周年の軌跡】
                                       福岡甲南会会長 中根正就(S32、経済)

 福岡甲南会20周年記念パーティも宴たけなわ、和やかに歓談する会員達の姿を見ながら、同窓会という、なんの変哲もない
会がよく20年も持続してきたなという感慨に浸っていた。


【はじまりの一本の電話】
 昭和55年(‘80)2月14日(木)午後、私の勤め先に電話がかかった。穏和な口調で“九州電産の筬島というものです
が、失礼ですが貴方は甲南大学出身ですね”怪訝に感じながらも肯づくと、“私は旧制甲南高校、文科、昭和20年卒業の者
ですが、実は甲南学園同窓会のことでご相談したいことがありまして、貴方にお目にかかりたいのですが、何時お訪ねしたら
よろしいでしょうか?”
 とんでもない。相手は大先輩である。こちらからお伺いしますということで、その日の内に、私の勤め先、当時、福岡市中央
区渡辺通にあった、RKB毎日放送本社からほんの5〜6分にある、九州電力本社ビル内の「九州電産」総務部長、筬島一夫氏を
訪ねた。
 “甲南学園からの意向があり、福岡にも学園出身者が増えてきたところから、親睦の集まりを作って貰えまいかということで
す。貴方にもご協力願えませんか?”
 学園から送られてきていた現在福岡在住の甲南学園出身者の名簿を見せられた。30名ほどの人数だったか。正直な話し、
“しんどいな”と思った。“同窓会”のようなノスタルジック会合などでは前向きな話題に乏しく、しかも、卒業年度の違う
世代が集まっても、共通、共感する話題が限られており、直ぐ飽きられてしまい、長続きしない。“先輩だ”“後輩だ”とい
う縦社会のつき合いも鬱陶しい。などの思いが頭に過ぎった。
 それに、私は、“甲南大学出身”に忸怩たる思い出があった。

 昭和32年大学卒業後、福岡のラジオ局“ラジオ九州”(RKB毎日放送の前身)に入社が決まった。
 当時、夜汽車で大阪、福岡間、13時間、やっと入社式にたどり着き、新入社員の自己紹介で、出身校と入社後の抱負を述べ
ることになった。順番に“九州”“西南”“福岡”と地元の大学、“東京”“慶応”“早稲田”“立教”“明治”など東京の
大学卒が誇らしげに?名乗り、私の番で、“甲南大学出身”といったとき、出席者が顔を見合わせ、ざわめいた。誰かが、“
甲南大学って、何処にあるのですか?”と問うた。当時、甲南大学は京阪神では、名門?として、それも一部の人に、知られ
ていたが、遠く僻地の?福岡の人など知る由がない。

 癪にさわったので、吹き上げた。“わが甲南大学は、関西屈指の高級住宅地、兵庫県東灘区岡本に立地し、前身は旧制七年生
高等学校である。東の学習院、西の甲南と並び称されている”また誰かが、“ああ、日本で一番授業料が高いと評判の学校か
、親も大変だったな”失笑が洩れた。ここで返さねば、目指すジャーナリストとしての資質が疑われる。“だから、未開のこ
の地、この局で一旗揚げようとやってきたのだ”どっと哄笑が起きた。

 こんな事を思い出している私の心を見透かしたように、筬島さんは述べられた。“本当のところ同窓会など年寄りの郷愁をか
きたてる以外、何ものもないようですが、ただ、卒業年度は違っていても、同じ学校で学んだという、いわば同志的親しみや
、安心感、連帯感は持てる。懇親を続け、一層緊密になれば、お互いの情報や協力、助力のネッワーク作りが出来ませんか?
福岡では、甲南学園はほとんどの人が知りません。それだけに在住の卒業生が、連帯して活動すれば、力になり、学園や自分
の存在証明、アイデンティティが確立出来ませんか?”


【福岡甲南会結成に向けて】
 ともあれ、一度集まってみようということになり、名簿の中から、幹事役を探しだし、手分けして、福岡在住の卒業生に呼び
かけることにした。幹事役は、渕田信氏(大s48、広告代理店、西鉄エージェンシ勤務)、牧野武氏(法s39、サントリ
ー福岡支店勤務)、大久保邦彦氏(法s39、ロイヤルホテル福岡出張所勤務)の三氏。快く引き受けていただいた後、各人
、電話で熱心に卒業生達に呼びかけた。


【第一回、福岡甲南会】
 第一回福岡甲南会、昭和55年(’80)4月25日(金)午後6時から、福岡ニューオオタニホテル4階“紫陽花の間”、
参加者16名。会長、筬島氏、副会長、中根、幹事、渕田、牧野、大久保三氏が承認された。同時に今後、年、春秋2回ほど
集まることにした。目的は懇親。

 この年、旧制高等学校の「寮歌祭」が福岡でも催された。残念ながら、旧制甲南高等学校卒は筬島さんと後一人、旗持ち役が
いるといわれて、早速、私が駆り出された。白線の学帽をかぶり、にわか覚えの旧制高等学校校歌、応援歌をがなった。
参加者から“あの旗持ちは若すぎるのではないか?”と冷やかされ、冷や汗をかいた。


【福岡甲南会正式認可】
 昭和57年(`82)9月、甲南会本部から正式に「福岡甲南会」として承認された。正式の同窓会として活動していくには
、支えてくれる事務局が必要である。同窓会が機能していく絶対条件は、事務局がキチンと同窓会事務処理を遂行してくれる
ことである。
 同窓会事務といっても、結構煩雑で、“本部や会員との連絡”、“同窓会名簿の整理”、“同窓会の設定、”運営”、”出欠
確認”“会計”などの事務処理をしなければならない。
 しかも、会員が増えるほど煩雑さは増大し、個人レベルでの管理能力を超える。幸いにして、杉本猪一郎氏(文s44)が自
社(株式会社オヌキ)で事務を引き受けてくれることになり、活動の基盤が固まった。
 その後、川原正孝氏(経営s48)のところ(株式会社ふくや)が引き継いでくれることになり、今日まで来ている。
 平成3年(`91)筬島会長から、今後は若い人に推進してもらいたいという辞任の意向があり、7月20日(土)於、山の
上ホテル、福岡甲南会総会で新任会長、副会長、幹事が選任された。
 会長中根正就、副会長2名、坂本収(経営s42、平成企画)山本寅夫(経済s40、都屋)、幹事2名、杉本猪一郎、川原
正孝。いずれも任期2年、特に異議なければ、引き続き再任することが決められた。

 会の理念は〈懇親を通してコミュニケーションネッワーク作り、甲南学園、会員相互のアイデンティティを確立すること〉。
アイデンティティ=同一性、連帯感、自己の存在証明である。会員資格は、大学のみならず、甲南学園(高、中、女子)卒業
生。

 福岡甲南会は年4回、月例会開催(三ヶ月に一回、うち6月は総会)、ゴルフ会年2回、その他、適宜、催しものを開催、必
要ある時は臨時総会を招集する。

 臨時総会については、平成7年(`95)1月17日、「阪神淡路大震災」で母校が壊滅的打撃を受けた報せを受け、直ちに
催き、参加者からカンパを募った。
 さらに、福岡在住の会員に積極的に働きかけ、募金することを申し合わせた。巷でよく、甲南出身者は、冷淡で個人主義、他
人事には無関心という評価を聞くが、このときは皆、愛校精神の塊のような表情、態度をしていた。

 評価は訂正すべきである。“甲南出身者は、冷静な判断力を持ち、自立精神に富んでいる。普段は他人の立場を尊重し、妄り
に干渉しない。しかし、一旦必要ある時は、懸命に助力する暖かい感情の持ち主が多い”

 ゴルフ会で、下手くそな私に、“会長に優勝杯を”というスローガン?の下に、本当は一打差、私が多く叩いたのにも拘らず
、年齢を加味して、優勝杯を生まれて初めて贈呈され、持ち帰り、家で面目を保てたのも、正に、その現れである。


【福岡甲南会の行事、参加者】
 福岡甲南会では家族参加の催しをする。夏の夜、博多湾クルージング、花火鑑賞会、会員別荘地でのバーベキュー、福岡ド
ームでの野球観戦、ダイエー王監督を囲んで記念写真撮影などなど。
 その他、講演会、見学会(唐津の原子力発電所など)も行っている。会場は出来るだけ博多名物、美味いものの店を選んで行
う。春は室見川の“白魚の躍り食い”、冬は“博多地鶏の水炊き”“ふぐ料理”など、その他“博多郷土料理”“玄海海鮮中
華料理”など、その都度、幹事が腐心している。
 会合の参加者は、多いときでは30人を超えるが、平均20人前後である。平成14年6月現在、福岡甲南会員(案内状発送
者)は215名。女性会員参加は当初、ほとんどなかったが、最近、少しずつ増加している。
 今年(2002年2月)の月例会では、名店“吉兆、博多店”の会席料理が、店長の湯木尚治氏(経営H4)の好意により、格
安で賞味出来るのが魅力か?出席者31名中、女性が10名と三分の一を占め、華やかな雰囲気を醸し出していた。心理学者
に言わせると、女性は、現実主義的性向が強く、いつまでも、過去にとらわれないという。それだけに、ノスタルジックな同
窓会など魅力がないのかも知れないが、やりようによっては参加を促進できる。このときも、開始時間を、女性(特に主婦)
が参加しやすいように昼間にしたり、幹事が直接電話をかけたりして、促進した。参加費も男性より一割安くするなど努力し
た結果である。


 【一期一会の福岡甲南会】
 東南アジア、中国、韓国の交流ターミナル、九州の基幹都市、福岡市には全国から企業の支店が集まっている。福岡甲南会会
員にも、支店勤務の人が多い。この人達は、2〜3年もすると、次の転勤先に旅立っていく。したがって、 福岡甲南会は会員
の出入りが激しい。それだけに名簿の整理が大変であある。20年の間、どれだけ多くの人が通りすぎていったことか、転勤
挨拶も数多くもらった。月例会で、いつも、次ぎにこの人達に会えるかなと思う癖がついた。福岡甲南会は茶道でいう、まさ
に“一期一会”の会かも知れない。それだけに、地元の幹事一同は、短期間でも、福岡甲南会に入ったことで、親密になれ、
良い思い出がつくれるよう、精々のお世話をしている。また、転勤してきた人に、会員相互で、可能な限り、不慣れな地域情
報を教え、仕事上の協力、助力をお願いしている。


【サポーターとして、同窓会の在り方】
 先述の“阪神、淡路大震災”のとき、思った。もし、このまま、甲南学園が再建されずに消滅してしまったら、どんな気持ち
になるだろうか?
 
 旧制高校の寮歌祭に参加したとき、第二次大戦終戦時に、外地(旅順、や大連)にあったため、消滅してしまった高校の卒業
生、Aさんに心境を聞いてみたことがある。
A、“さびしい、自分の存在までが否定されたような気がする”という返答に
私、“しかし、卒業されたということは事実だし、卒業証書もある。その上に立って十分、経済界で活躍された。誰も否定出
来ないのではないでしょうか?”
A、“私にとって、学校は文字通り、“母”、「母校」です。外地にあっただけに、生徒達の団結力と、「母校」に対する愛
校心はひとしお強いものがありました。母校は喪失しました。二度と後継ぐ人は生まれません。いずれ忘れ去られていくでし
ょう。それはさびしいものです。何か自分までが無くなっていくような思いをしています”

 学校でも企業でも、ゴーイングコンサーン(永続)しているからこそ、絶えず、変化し進展する可能性がある。進展すれば、
社会的に認知され、力が大きくなる。ステータスも上がる。そこに所属した人の誇りと自信になる。「アイデンティティ」、
つまり、連帯感、同一性。自己存在証明の基盤となり、人生の支えにもなる。

 かつて、学歴無用論が喧伝されて久しいが、無用になるどころか、今も、“学歴”は複雑な人間関係の中で人権問題に抵触し
ないで、相手の人格や力量を判断する尺度として、大きな重みを持っている。履歴書の学歴欄は一向に無くならず、就職でも
結婚でも、一番の興味と関心の対象となる。学校など卒業してしまえば、関係ないとはいかないのである。学歴は社会生活の
中で、何らかの形で一生ついて回るものである。

 ヨーローパやアメリカなど先進国でも、社会(経済、政治など)の中で、学閥、学縁関係はステ−タスであり、権力ですらあ
る。 一生ついて回るだけに、卒業した学校「母校」が活躍し、進展している姿を見ることは素直に嬉しい。誇らしい。自慢
したくなる。自分と一体化させ、強力なアイデンティティとなる。
といって、同窓会が積極的に母校の経営にコミットし、あれこれ口出しすることは同窓会の本筋を超える。同窓会の本筋は卒
業生相互の“親睦”を深めることである。
しかし、私自身は月例会の度に、“同窓会は単なる親睦団体で良いのか?母校や後輩達と、どの程度コミットしたらいいのか
?”という疑問に囚われられていたのであるが、最近、答えとして、“これだな”と思ったのは、サッカーのW杯のTV観戦で、
各国の懸命に応援する“サポーター”たちの姿を見たときである。
“サポーター”は単なるサッカーフアンでなく、ある特定のクラブを贔屓にして応援する人たちのことをいう。その応援は熱
狂的で、選手の戦力を高め、勇気と闘争力を増幅する。グランドで戦っている11人の選手にプラス12人目の選手とすらい
われる。
 同窓会も母校や後輩達のサポーターとして、その発展を支持し、応援する。支持、応援といっても何も、金を出したり、いら
ざる口出しをしたりするのではない。
 甲南の同窓生達は各界で活躍している人達が多い。この人達が、これからの大学の生き残り方策の一つといわれている、いわ
ゆる「産学共同化」のパイプ役、橋渡し役を意欲的に行えば、母校の発展領域は広がり、各界に対する影響力は増大する。
また、後輩達の就職のための情報提供、アドバイス、助力すること、例えば、インターンシップ(卒業前就業体験)の受け皿
づくり、推進などをすることで、勇気と力をあたえる。
 各界で甲南の卒業生が増加し、活躍すれば、ステータスが上がり、優秀な入学希望者も増加するだろう。少子化による学生減
少など怖れることはない。さらに、卒業生、在校生との協力、共同ベンチャー事業の取り組み。インキュベーション新技術な
どの模索、培養)を推進する。
 これらの推進力として、同窓会。母校間の緊密なコミュニケーションが重要となる。例えば、各界毎の卒業生の分布状況、従
事している仕事内容や権限、地位の把握、大学の研究内容、ノウハウのPR、学生を含めた研究、事業意欲の持ち主と人材の発
掘、発見など。

 この度、各地甲南会の“ウェブペ−ジ”が開設されることになった。既に開設されている甲南学園のウェブペ−ジと緊密に連
携して、上記のようなコミュニケーションをはかれば、甲南発展の大きな力になるのではなかろうか。