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大阪三島甲南会 「大阪三島甲南会誕生のうらばなし」 を掲載しました。

大阪三島甲南会誕生うらばなし



1 同窓会初の分離独立
 平成21年に、同窓会として初めて、北摂甲東甲南会の活動地域の内で、大阪府三島地区(高槻市、茨木市、吹田市、摂津市、島本町)を活動地区とする大阪三島甲南会が分離・独立した。旧北摂甲東甲南会は、京都府境の天王山から兵庫県の六甲山までの広い地域をしめていたため、どうしても在住の同窓生に対するサービスが手薄となるところから、より親睦や母校との連絡を強くするために、北摂甲東甲南会の砂原教男副会長の発意で準備がすすめられたものである。

2 平成21年3月に分離独立を議決
 手続きとしては、甲窓会の地域支部規程の定めるところにより、北摂甲東甲南会内部にまず柳沢正副会長を委員長とする設立準備委員会を設け、大阪三島地区在住の副幹事長有村清、幹事の中村喜代美さんら三島地区在住者によって計画が進められた。その中で、一つ頭を悩ませたのはその名称である。大阪府下では豊能とか三島地区と言えば、誰しもその場所が頭に浮ぶが、全国組織の同窓会の支部として考えた場合「三島」と言えば富士山麓の静岡県の三島と混同される恐れがある。いろいろな説が出たが、最終的には柳沢委員長の決断で「大阪三島」と決定した。
 そして平成21年3月の北摂甲東甲南会総会で、会則、役員人事、事業計画、予算などがすべて承認され、支部設立が議決された。
これを受けて、新しい大阪三島甲南会の第一回設立総会の開催準備に着手した。

3 会長予定者柳沢正氏急逝
 第一回総会の準備に着手した矢先、会長予定者の柳沢正氏が自宅で急逝された。氏は登山部の先輩で、古稀を迎えてますますお元気であり、新しいスタートに意欲を燃やしておられただけにくれぐれも惜しまれる。そこで後任(?)について協議した結果、母体の北摂甲東甲南会の副会長で、大阪府立大学名誉教授の砂原氏が初代の会長を勤められることとした。副会長予定の能村光太郎氏、幹事長予定の有村氏など、他の人事は変更なく、とりあえず発足の上、幹事などは発足後参加される顔ぶれを見て補充することとしてのスタートとなった。
 会長予定者の急逝によって設立総会は少しずれ込んだが、平成21年夏に無事発足できたのは幸いである。ことに高阪薫学長が出席され祝辞を述べていただいたのは得難いことであった。

4 設立総会案内の苦労話
 新しい甲南会を設立すると言っても、どこの甲南会も同様であろうが、当初はスタッフも少なく関係者の苦労は大きい。いろいろな秘話もあっただろう。大阪三島甲南会としては、第一回の設立総会には活動地域内に在住する同窓会全員に案内を出すこととした。在住者の住所は、甲南会活動にのみ使用するとの条件で、同窓会から提供される。宛名ラベルも作成願った。在住者は3000人を突破している。そこで、往復ハガキを3000余枚印刷した。ところが3000枚と言えば30万円が必要である。同窓会からは設立祝金や郵送料補助金も戴けるが、とてもこれでは足りない。この設立費用は母体の北摂甲東甲南会が一時用立てることとした。
 さて、その発送であるが、3000枚の往復ハガキに宛名ラベルを貼りつけるだけで大変な手間である。これを有村幹事長(予定)が自宅に持ち帰り、お一人で全員のラベル貼りを行った。同窓生の交流と母校愛に基づく奉仕によって第一回の案内状は全員に発送されたのである。
 ところがここで、善意の関係者をがっかりさせる結果も見られた。それは、総会出欠の返信が2割に過ぎなかった事である。それも最近の若い卒業生ほど返信率が低い。一体これはどういうことなのであろうか。年輩の人は、三島地区の甲南会が発足することに期待する添書きや、幹事の苦労に対する謝辞も書き添えられていた。

5 大学も卒業生も変化したか?
 この、地域の同窓生全員に対する呼びかけの返信率が2割という事実をどう解釈すればよいのだろうか。また他の近隣甲南会で、その地域の新卒業生200余名に対して連絡したところ返信は1人(0.5%)という信じられない結果であったとのことである。  年輩の同窓生は、たとえ欠席であっても返信するのが社会人の常識であり、エチケットであると心得ている。大阪三島甲南会でも若い卒業生の率が低かった。これは最近の母校で教育を受けた者は、社会人となり切れていないことにつながる。
 現在の大学は高校生の半数が入学する時代となった。もはや就職するための通過地点で、卒業大学への愛着も帰属意識も希薄になりつつあると言われている。受験にしてもいくつかの大学に願書を出してその内の合格した所に入学するのだとも言われている。2割とという反応も、学園の担当者の情報では「他の大学でもそんなもの」とのことであった。大学とは名ばかりになったのであろうか。
 各大学では、今後の困難な時代が予測されているだけに、内容の充実・特色化と共に卒業生に対する働きかけも強化していると聞く。その中で母校では卒業を前にして同窓会に入会するか否かを確認する念の入った手続きを取っている。これが、母校と卒業生の絆を強めようとする他大学の方針とは逆行しているのかどうか、またこれが母校や同窓会への帰属意識を低くしているのでなければ幸いである。

6 期待される平生イズムによる卒業生像
 幸いに本学園には、現在のようなグローバル化が進む半世紀以上も前に、創設者平生釟三郎先生は「世界に通用する知識人・教養人たれ」と学生に呼びかけ、徳育・体育・知育と徳育重視の教育方針を示した。この徳育を身につけ立派な社会人を養成する建学の精神が日常の教育活動に生かされておれば、他大学では2割あるいはそれ以下の返信率でも本学園はその2倍、3倍という実績を生み、それが大学に対する一つの評価につながるのではないだろうか。
 私学にとって尊重されるべき建学の精神に基づく教育を受け、その感化を受けた卒業生が多数送りだされることを、各地の甲南会は待っている。

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