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甲南多士済々

奥川優子さん

私の38年間のフライト生活

総フライト時間はグレートキャプテン小林宏之氏を超える19200時間に

奥川優子さん

搭乗15.000時間達成時KLM社長と

1971年11月にKLMオランダ航空に就職しました。当時、東京からアムステルダムに行くには北極回り、シベリア経由、南回りの3ルートでした。最速北極回りで16時間、南回りは私がフライトを始めた頃は東京からマニラ、バンコック、デリー、ベイルート、アテネを経由してアムステルダムまで、行きは24時間以上かかりました。日本人クルーは東京を出発して、マニラ経由でバンコックまで行き、3~4日バンコックに滞在して、夜の便でデリーを経由、ベイルートまで行きました。当時のベイルートは中東のパリと言われるほどおしゃれで素敵な街でした。中東にありながらイスラム教ではなくキリスト教でした。後に戦争になり、あの街がすべて破壊されてしまい残念でなりませんが、今は随分復興したようです。ベイルートでは2日滞在してまたバンコックに戻り、バンコックで3~4日滞在して東京に帰るというスケジュールで、10日から12日、日本を離れなくてはならず長いフライトスケジュールでした。

北極回りはアンカレッジで2~3泊してアムステルダムに行き、アンカレッジに戻って2~3泊して東京に帰るスケジュールで、これも10日間のスケジュールでした。当時、アンカレッジは日本とヨーロッパを結ぶ殆どの航空会社が飛んでいて、アンカレッジの街は航空会社の乗務員でいっぱいでした。夏は白夜で暗くならず、冬は日中でも殆ど明るくなりませんでした。アムステルダム-アンカレッジ間では操縦室からオーロラを時々見ることができ、空の光のカーテンはすばらしかったです。1990年から東京-アムステルダム間は直行便になり、滞在先はアムステルダムのみとなりスケジュールも4日間と短くなりました。

私が入社した頃ビジネスクラスはなく、ファーストクラスとエコノミークラスだけでした。随分たってビジネスクラスができ3クラスになり、その後KLMではファーストクラスを無くしてビジネスクラスとエコノミークラスになりました。DC8,DC10,B747,B777と飛行機も替わり、スーパーDC8-63で飛んでいた頃が懐かしいです。当時、団体の海外旅行が始まったばかりでしたので、お客様はまだ飛行機に慣れてなく機内では珍事が沢山起こり、その都度オランダ人の間に立って大変でした。今はお客様も随分旅慣れてそのような事は起こりませんが、旅慣れすぎて泣かされる事も多々ありました。

奥川優子さん

オランダはなんと言ってもチューリップ、4月下旬から5月にかけてみごとに咲きます。その頃オランダではホワイトアスパラガスのシーズンになり、沢山のレストランでWアスパラガスの特別メニューが出されます。

ゴッホ美術館がアムステルダムの街中にありますが、他にもクレラーミュラー美術館がオランダ中部の国立公園の中にあり、ゴッホの絵がこれでもかというくらい並んでいます。クレラーミュラー婦人が1905年頃から収集した沢山のコレクションです。また、アムステルダムのライクス美術館にはレンブラント。ハーグのマウリッツハウスにはあの有名なフェルメールの「真珠の耳飾り」の絵があります。デルフト、ライデンも訪れる価値があります。

奥川優子さん

ラストフライト

今でもよくも38年もフライトをしたと思います。ラストフライトはオランダ人機長が「今搭乗している日本人キャビンアテンダントが、38年フライトをして今日で最後になります」と英語でアナウンスをしたので、私自身が日本語でお客様に挨拶をしましたが、涙が止まりませんでした。盛大な拍手をお客様から頂き、38年間のフライト生活が走馬灯のように頭を過ぎりました。成田に到着してクルーとシャンペンで乾杯をして、私のフライト生活は終わりました。総フライト時間は19,200時間でした。オランダとオランダ人と38年間もお付き合いをし、一つの国とその国の人達とこれほどのご縁を頂いたのはとても不思議です。幸せな38年間だったと思います。

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