2011年8月アーカイブ

那須 一郎 さん

那須 一郎 さん  (大経34)

甦る母校愛

平成7年1月17日 早朝5時46分
 一瞬、轟音と共に身体が宙に浮き、何事が起ったのか、戦時中の不発弾が炸裂したかと思いました。
あわてて2階から下へ降りようとしたのですが、家の中は家具、食器等が散乱した状態で、外へ出るにも困難をきわめました。
 やっとの思いで外に出ましたが、東隣のマンションから火が出ており、また、2階部分の躯体が座屈し押しつぶされているのを見て、これは大変だと思い、気がついたら甲南学園に来ていました。

hanshindaishinsai-jrsettsumotoyama.jpg[JR摂津本山駅]

しばらくして、駆けつけてこられた小川理事長と会い、そのご指示により、大学は大林組と住友建設で、中学、高校は竹中工務店でというふうに3社で分担、被害調査を行い、結果を小川理事長に報告いたしました。
 そこに、設計事務所の東畑建築事務所と我々建設3社、設備業者2社のきんでん、不二熱化学工業の関係者が集まり、学園側では小川理事長、管財課の安部さん、各学部の教授方にご参加いただき復興計画を練る打合せの場といたしました。
 そこで、一番初めにすることが何であるかを学校側と打ち合わせた結果、間近に控えた、学生卒業試験と新入学試験への対応が最優先事項であることに気付きました。
 我々建設・設備5社は翌18日には官側(兵庫県、神戸市等)から要望された仮設住宅より仮説校舎を優先し、資材の確保(電気、空調を含め)を各社に手配依頼し、1月末には大学、中学、高校のグランドいっぱいに仮設校舎を建てることができました。
 後日談ですが、この時、一日手配が遅れていたら、資材を確保できませんでしたし、担当の安部さんの協力がなければ、学校のルール(理事会承認等の手続き)にとらわれない迅速な建設ができなかったと思います。
 その他の復興工事でも学校側との打ち合わせが非常にスムーズに出来たのは、教授、職員方のご協力があったお蔭でした。

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また、一番心に残ったこととして、震災数日後、多分旧制の卒業生かと思いますが、倒壊した1号館側正面の旧制高校時代(創立来)からの玄関をじっと見つめておられた姿が忘れられませんでした。

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それで、東畑建築事務所の香西さんにお願いし、昔のままの設計デザインをお願いした次第です。
 この件は、対策本部のみなさん全員が当然として賛成下さいましたので、昔の姿のまま復興できたことを、卒業生として良かったと思っています。
 最後に、平成9年3月の復興新校舎披露祝賀会の挨拶で、ご来賓の土井たか子委員長が、「神戸で、いや関西で甲南を潰すわけにはいきません。私も出来る限り応援します」とおっしゃって下さったときは嬉しかったです。
 大震災は大変不幸な出来事でしたが、「災い転じて福となす」という言葉があるように母校を愛する気持ちを甦らせてくれたと思っています。

nasu-2.jpg [平生記念会館にて]

那須一郎氏 
平成24年7月18日永眠されました。
ご冥福をお祈り致します。

 

村上 憲太郎 さん

村上 憲太郎 さん (大法51)

見る人に感動を与えたい

創作木彫り 憲太郎根付と彩ころ


営業マンとして多忙な日を過ごしていたが、8年間務めた商社を辞め、芸術の世界に。学生時代に自身の個展を開催し、絵を販売していたこともあり、もともと絵は好きだった。昭和61年には工房兼事務所を開設し、デザインや広告の企画を手掛けながら、和装小物中心に創作活動を行っていた。
 平成7年、「彩ころ」で東急ハンズ大賞に入選。「彩ころ」は息子さんの算数の勉強がきっかけで作り始めたもの。サイコロの角が危ないので削って丸みを付け、歌舞伎の図柄や風流な絵を付けてみるなどしているうちに芸術性の高いものに。サイコロとしても使えるよう模様や絵柄に工夫も施されている。(「彩ころ」は平成15年9月19日に特許庁に商標登録されている)

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        「彩ころ」 

 「根付」は京都の和装小物店の依頼で始めた。村上さんの「根付」は、彫刻された「根付」に上絵付けをし、色彩豊かに仕上げたもので、伝統工芸品の根付に新たな世界を広げたものだ。平成14年10月にはフランス・エヴィアン・パレドコングレで日本の芸術として紹介された。
 「彩ころ」には椎の木、「根付」にはプライヤー(ツツジの一種)を使う。
「根付」は彫刻刀で形を削り出し、サンドペーパーで磨き、白色に下塗りし、上絵付けを行い、ニスを塗り、仕上げに透明ウレタンを施す。大きさは25~40㎜程度。製作には常作品で1週間程度を要する。  

murakami-netsuke2.jpgmurakami-netsuke.jpg 
        「根付 」 

 『手作りの暖かさを伝えるとともに、彫り方のみの根付ではなく、華やかな彩色で上絵付けをほどこし、憲太郎オリジナル"ヒャーファーの世界"の構築を目指しております。
又、機械で大量生産されるキーホルダーとは違い、手間の掛かる物ですが残さなければならない日本の大切な伝統の一つと思い、創作に臨んでおります。特に女性の方が初めて作品を見て、具体的な言葉以前に「ヒャー、ファー」といった驚きの第一声が発せられます。他愛のない稚拙な作品ではありますが、見る人に不器用な言葉で取り繕うことなく心を伝えることができる、そうした出会いの一瞬を大切にした作品を創っていきたい』と村上さんは話されている。
現在、木彫作品として棗(なつめ)、香合、香立て、簪(かんざし)、帯留、ペンダントなども手掛けている。

粉川 妙 さん

粉川 妙 さん (大文H10)

スローフードに魅せられて 

社会学は社会に還元できているのだろうか?
文化人類学は人類のために役立っているか?
・・・
と、自分に問いかけることがあります。
平成10年、文学部社会学科を卒業した私は、イタリアでライターをするかたわら、旅のコーディネートの仕事をしています。

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<著者の住むスポレート界隈の人、自然、歴史>


食べるのが好きで「それを仕事にできれば」と思い立ち2005年に渡伊。それまで7年勤めた営業職からの180度の転向でした。
かくして食のライターを目指して、中部イタリアのマルケ州にあるスローフード協会認定の料理学校『イタル・クック』を修了し、そのプログラムの一環として1年間、現地でコックを経験しました。スローフードに深く触れたのは、その頃です。


ただの食いしん坊から考える食いしん坊へ
アドリア海の女王ヴェネツィア。名物料理の一つに、春と秋にしか口にできない、希少でおいしいカニ料理があります。
モレーケ(地中海ミドリガニ)のフライです。脱皮したての生きたモレーケを溶いた鶏卵の中に放り込み、鶏卵を吸わせて、油で揚げます。(残酷ですね!)
ソフトシェルなので皮ごと食べられます。外はサクサク、中身はふんわり。カニのうま味と卵の優しい味が楽しめます。ヴェネト地方の白ワインのソアヴェと食べると、最高!!
しかし、漁師の後継者不足と海の汚染で、モレーケは消滅の危機に瀕しています。漁には、専門的な技術が必要で、一朝一夕で身につくものではありません。ローマ時代から続くモレーケ漁を、我々の世代で終わらせて良いのでしょうか。


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<ヴェネツィアの春と秋の名物料理"モレーケ"のフライ>

手間のかかるチーズやサラミ、肉付きは悪いけど肉質は最高の牛やブタ、希少品種の果実など、イタリア各地のご当地グルメは、市場競争と環境汚染、造り手の欠如で、消滅しかけています。
それは良くない!継続できる環境を整えよう!持続的に生産できるよう、販売を手伝おう、というのが、スローフードの考えです。
滅びつつあるプロダクトはスローフード協会によって、『プレシディオ(食のとりで)』品としてPRし、保護を呼びかけています。単に舌で味わって終わりではありません。頭も使い永続的に生産していかなければ、いつかは終焉を迎えます。


魅力あふれる地方であり続ける大切さ
イタリアは、国家統一してまだ150年。ローマ帝国からの歴史は相当古いですが、近代国家の歩みは意外にも短いのです。20世紀に入り、ファシズム期の二十年間に、諸地域の食地図が完成し、特産品の最初の目録が作られて、書物の刊行や宣伝がなされました。国を挙げての地域活性の鍵は『グルメ』だったのです。1931年にイタリア旅行協会が刊行した『イタリア美食案内』は、ご当地グルメが満載されたマップと、食品や地方料理の詳細な説明が掲載されています。いかに地方を魅力的に差別化し、農業を推進させていくか、という術を心得ていたのです。
また1960年代のアグリツーリズモ(農家での滞在)の誕生、1980年代のスローフード協会の発足と世界的な広がり等など、地方の奮闘は目覚しいものがあります。現在、47件もの世界遺産を有するイタリアですが、それに『魅力的な滞在』と『グルメ』を加えて、さらに魅力的な旅を提案しています。


こういったイタリアの地方活性術を日本も取り入れてほしい。日本は、豊かな自然、神社仏閣などの歴史建造物、ユニークな町並み、おいしい食事、そして礼儀正しく気持ちの良い国民性を持つ国で、その素地は十分あるのです。
また、グルメや観光に限らず、地場産業の発展やエネルギーの地産地消など、今回の東北沖地震で見るように、エネルギー問題を含めた地方自治体が主役の街づくりは、急務だと言えるでしょう。


縁あって、イタリアと関わりを持っています。大学時代に養った社会学と文化人類学の視点で、イタリアのスローフードや文化構造を見守り、そして分析し、日本に紹介し続けたいと思います。大好きな二国の橋渡しができれば、こんなにうれしいことはありません。

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<オリーブ畑で草を食む羊たち スポレート郊外>

 

【プロフィール】
粉川妙(こかわたえ) 中部イタリア・スポレート市在住
食のライター、ソムリエ、旅アドバイザー、日伊文化交流会ICIGO(一期)主宰
著書は『スロー風土の食卓から』(扶桑社)。
市町村や民間からイタリア農業視察の依頼も多く、コーディネートも受けています。
ブログ『butakoの2年間の休暇』http://butako170.exblog.jp 
サイト『ウンブリアの食卓から』http://slowfood1.web.fc2.com
9月発売予定『イタリア古寺巡礼フィレンツェ→アッシジ』(新潮社)にて食のパート執筆しています!

 

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