那須 一郎 さん (大経34)
甦る母校愛
平成7年1月17日 早朝5時46分
一瞬、轟音と共に身体が宙に浮き、何事が起ったのか、戦時中の不発弾が炸裂したかと思いました。
あわてて2階から下へ降りようとしたのですが、家の中は家具、食器等が散乱した状態で、外へ出るにも困難をきわめました。
やっとの思いで外に出ましたが、東隣のマンションから火が出ており、また、2階部分の躯体が座屈し押しつぶされているのを見て、これは大変だと思い、気がついたら甲南学園に来ていました。
[JR摂津本山駅]
しばらくして、駆けつけてこられた小川理事長と会い、そのご指示により、大学は大林組と住友建設で、中学、高校は竹中工務店でというふうに3社で分担、被害調査を行い、結果を小川理事長に報告いたしました。
そこに、設計事務所の東畑建築事務所と我々建設3社、設備業者2社のきんでん、不二熱化学工業の関係者が集まり、学園側では小川理事長、管財課の安部さん、各学部の教授方にご参加いただき復興計画を練る打合せの場といたしました。
そこで、一番初めにすることが何であるかを学校側と打ち合わせた結果、間近に控えた、学生卒業試験と新入学試験への対応が最優先事項であることに気付きました。
我々建設・設備5社は翌18日には官側(兵庫県、神戸市等)から要望された仮設住宅より仮説校舎を優先し、資材の確保(電気、空調を含め)を各社に手配依頼し、1月末には大学、中学、高校のグランドいっぱいに仮設校舎を建てることができました。
後日談ですが、この時、一日手配が遅れていたら、資材を確保できませんでしたし、担当の安部さんの協力がなければ、学校のルール(理事会承認等の手続き)にとらわれない迅速な建設ができなかったと思います。
その他の復興工事でも学校側との打ち合わせが非常にスムーズに出来たのは、教授、職員方のご協力があったお蔭でした。
また、一番心に残ったこととして、震災数日後、多分旧制の卒業生かと思いますが、倒壊した1号館側正面の旧制高校時代(創立来)からの玄関をじっと見つめておられた姿が忘れられませんでした。
それで、東畑建築事務所の香西さんにお願いし、昔のままの設計デザインをお願いした次第です。
この件は、対策本部のみなさん全員が当然として賛成下さいましたので、昔の姿のまま復興できたことを、卒業生として良かったと思っています。
最後に、平成9年3月の復興新校舎披露祝賀会の挨拶で、ご来賓の土井たか子委員長が、「神戸で、いや関西で甲南を潰すわけにはいきません。私も出来る限り応援します」とおっしゃって下さったときは嬉しかったです。
大震災は大変不幸な出来事でしたが、「災い転じて福となす」という言葉があるように母校を愛する気持ちを甦らせてくれたと思っています。
[平生記念会館にて]
那須一郎氏
平成24年7月18日永眠されました。
ご冥福をお祈り致します。