砂原 教男さん(昭和25年旧制文科卒)
甲南高校の文科在学中に、当時高校で教えておられ、後に甲南大学学長をつとめておられた衣笠茂先生から「西洋史なんて食えないからやってもダメよ」と言われていたにもかかわらず大阪大学の文学部に進み、西洋史を専攻しました。
すると2回生の時に衣笠先生が甲南高校から移って来られ、高校と大学と二回先生の弟子として教えを受けました。
甲南高校には二人の兄が入学しており、後に医者になりましたが、在学中は三人とも「ジャリ」のニックネームでよばれました。
卒業後、大阪府立工業短大を経て大阪府立大学総合科学部教授として勤務し、名誉教授の称号をいただいた上で、大阪経済法科大学教授、総合科学研究所長などを勤めました。
従来の北摂甲東甲南会が広すぎるので、大阪三島甲南会を分離独立した時、会長の予定者として柳沢正君を内定していましたが急逝されたため「大阪府立大学の名誉教授だから、府下どこの甲南会の会長でも資格があるよ」との「立派な」理由から大阪三島甲南会の会長を兼ねることになった次第です。旧制甲南高校同窓会の副会長も仰せつかっています。